長井坂城

長井坂城ながいさかじょう
群馬県渋川市赤城町棚下
Mapion

--本丸南空堀--
別名   
交通 JR上越線「岩本駅」から徒歩60分以上。
築城年代 1560年(永禄3)か
築城者 上杉謙信か
形式 崖端城
主な城主 後北条氏
築城者・年代は不明。1560年(永禄3)上杉謙信が関東出陣の際、沼田城の東を迂回して長井坂に着陣すると、後北条勢は撤退、この地で来降した沼田城主沼田顕泰(万鬼斎)を引見したとされる事、また城郭構造から永禄期以降の築城と考えられている。
天正の初めに後北条氏の持城となり、近隣の地侍集団が城番を務めた。1580年(天正8)調略により沼田城を攻略した武田氏方真田昌幸は8月、牧弥六郎・須賀加賀守を追って長井坂城を占領するが、10月上旬、後北条氏が5千騎で囲むと、守将恩田越前守・下沼田豊前守は奮戦の後に脱出、その後は猪俣邦憲が在城して後北条氏の沼田城攻撃の拠点となった。
北は永井の沢の急崖、西は利根川の断崖に臨む崖端城で現在は関越自動車道の長井坂トンネルが地下を貫通している。西端の三方に土塁を築いた本丸の東に二の丸が並び、それを囲むように三の丸が設けられた囲郭式で江戸時代に旧沼田街道が城内を通り、一部破壊されているが、遺構は良好に残されている。
東から城址遠望 三の丸南土塁 三の丸・二の丸間空堀(南)
三の丸(東) 三の丸から北側の眺め 三の丸(北)
二の丸虎口土塁 三の丸・二の丸間空堀(北) 城内を通る旧沼田街道
馬出 本丸・馬出間空堀 本丸・二の丸間空堀(旧沼田街道)
二の丸 本丸 本丸東土塁
本丸南東桝形 三の丸(西) 追手

参考文献 「関東の名城を歩く 北関東編 吉川弘文館」 
    「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2022年3月