長坂氏屋敷

長坂氏屋敷ながさかしやしき
山梨県北杜市長坂町長坂上条
Mapion


--館址--
別名 長閑山・長閑屋敷
交通 中央自動車道「須玉」ICから車で25分。
築城年代 戦国時代
築城者 長坂長閑斎光堅
形式 屋敷
主な城主 長坂長閑斎光堅
甲斐源氏武田氏一族である栗原氏の流れを汲む長坂氏屋敷跡。
戦国時代、武田勝頼の側近長坂長閑斎光堅が、この地を支配し、居を構えたとされ、この丘陵一帯は長閑山と呼ばれている。
1582年(天正10)織田信長による甲州征伐の際、光堅は勝頼に最後まで従い、運命を共にしている。
武田氏滅亡後、甲斐・信濃諏訪郡の領主となった河尻秀隆が武田家旧臣や農民等の国人一揆により討たれると甲斐国は一時的に無主地となり、徳川家康と後北条氏が領有を巡り争った。この時北巨摩地方北半に布陣した後北条氏により利用されたといわれる。「天正壬午の乱

参考文献 「現地案内板」
                     「長野・山梨の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2006年10月