長崎奉行所


長崎奉行所ながさきぶぎょうしょ
長崎県長崎市江戸町
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--西役所跡碑--
別名  
交通 JR長崎本線「長崎駅」から徒歩10分。
築城年代 1592年(文禄1)
築城者 寺沢広高
形式 陣屋
主な城主  
1587年(天正15)九州征伐後、長崎を直轄地とした豊臣秀吉は、1592年(文禄1)唐津藩主寺沢広高を初代長崎奉行に任命した。その後徳川幕府も秀吉の政策を継承、幕末まで126人が長崎奉行に任命された。
奉行所は初め本博多町(現万才町)に設けられたが、1663年(寛文3)焼失した為、現在の県庁付近に西役所と東役所が設置される。その後1671年(寛文11)東役所は立山(現長崎歴史文化博物館)に移され、立山役所と改称されると、以後西役所と立山役所が長崎奉行所とされた。
江戸時代を通じて天領であった長崎は長崎奉行の支配下にあり、行政・司法に加え、出島や唐人屋敷を所管して密貿易を取り締まる等、任務は多岐にわたり、また長崎警備においては福岡・佐賀二藩を監督・指揮する立場にあり、俗に10万石の格式といわれた。

●出島
1636年(寛永13)市内に雑居していたポルトガル人を居住させる為に築かれた人口島。1639年(寛永16)鎖国令によりポルトガル船の来航が禁止された為、一時出島は無人となるが、1641年(寛永18)平戸のオランダ商館が出島に移され、以降開国までの218年間、西欧に開かれた唯一の窓口として大きな役割を果たした。

●唐人屋敷
1688年(元禄1)密貿易を取り締まる為、来航した中国人の居住地を制限する目的で設置された。周囲は掘と塀で囲まれ、外側は竹垣が配置され、外側とは遮断されており、堀跡や石垣が残されている。
Mapion
立山役所跡(現歴史文化博物館)
復元された奉行所 長崎会所跡

出島
西から見る出島 西護岸石垣 南護岸石垣

唐人屋敷
唐人屋敷跡碑 天后堂 南空堀跡

参考文献 「現地案内板」
                      「図説長崎歴史散歩 河出書房新社」
訪城回数 1
2017年1月