唐津城

唐津城からつじょう
佐賀県唐津市東城内
Mapion

--天守閣--
別名 舞鶴城
交通 JR唐津線「唐津駅」から徒歩20分。
築城年代 1608年(慶長13)
築城者 寺沢志摩守広高
形式 平城
主な城主 土井利益
1602年(慶長7)寺沢志摩守広高により築城が開始され、1608年(慶長13)に完成したとされる。その際名護屋城岸岳城の用材が使用されたという。
1638年(寛永15)寺沢氏2代堅高の時、松倉氏と共に島原・天草の乱の責任を問われ、唐津領天草郡4万石は没収、その後寺沢家は断絶した。
寺沢氏が断絶すると、唐津領は一時幕領となったが、1649年(慶安2)9月、播磨国明石城から大久保加賀守忠職が入城した。
1678年(延宝6)大久保氏が下総国佐倉城へ移ると、代わって松平和泉守乗久が7万3千石で入城し、1691年(元禄4)松平氏が志摩国鳥羽城に転封すると、鳥羽から入れ替わりで土井周防守利益が入城した。
土井氏は歴代唐津城主で最も長く在城し、4代72年間続くが、1762年(宝暦12)下総国古河城へ移った。そして三河国岡崎城から水野和泉守忠任が代わって入城。1817年(文化14)年、水野氏が遠江国浜松城へ移ると、陸奥国棚倉城から小笠原氏が入城し、以後明治維新まで5代53年、小笠原氏が続いた。
三の丸・辰巳櫓 南から城址遠望 南から天守遠望
船入門跡 御殿跡(高校敷地)石垣 登城路石垣
枡形虎口 本丸・修復中の石垣 天守閣
本丸城門 天守から東・虹の松原方面 天守から南東・岸岳城方面

参考文献 「現地案内板」
                    「長崎・佐賀の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2011年9月