長瀞城


長瀞城ながとろじょう
山形県東根市長瀞
Mapion


--水堀--
別名 雁城
交通 JR奥羽本線「東根駅」から徒歩30分。
築城年代 1249〜56年(建長年間)
築城者 西根氏
形式 平城
主な城主 最上満家
1249〜56年(建長年間)西根氏により築かれたと伝えられ、室町時代には最上満家がこの城に隠退したとされる。
戦国時代に入ると長瀞左衛門が入城し、天童城主天童氏に従って最上義光と争ったという。
天童氏滅亡後、義光は長瀞城に郡代として遠山外記を置いたとされ、また矢桐相模守が5千石で在城したともいう。
その後長瀞城は廃城となり、代官陣屋が置かれ、1798年(寛政10)武蔵国久喜より米津通政が入部すると、明治まで米津氏の陣屋となった。
現在城址一帯は宅地化されているが、水堀が良く残されている。
御蔵前
長瀞村の年貢米を納めた郷蔵跡
水堀 本丸に建つ八幡神社

参考文献 「現地案内板」
                        「山形・宮城・福島の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2014年9月