長藪城

長藪城ながやぶじょう
和歌山県橋本市慶賀野
Mapion
出丸経由登山口地図
--西の城堀切--
別名         
交通 南海高野線「林間田園都市駅」から登山口まで徒歩15分。
築城年代 1469〜87年(文明年間)
築城者 牲川義春
形式 山城
主な城主 牲川氏
1469〜87年(文明年間)谷内川(現橋本川)流域を支配していた在地武士、牲川義春により築かれたとされる。義春の祖である左衛門頼俊は楠木正成に仕え、度々功を挙げたが、千早城落城と共に十津川へ逃れたという。そして1469〜87年(文明年間)義春の代に十津川の野武士を集め、再び紀北へ進出、紀伊守護畠山氏に従い、1万石を領して長藪城に入城したとされる。
1558年(永禄1)義春の孫である義則の時、松永久秀に攻められ落城したが、1560年(永禄3)その子義次の時、奪還した。
畠山氏が滅んだ後、織田信長に大砲をもって攻略され、以後信長に従うようになる。
義次の子義清の時、豊臣秀吉に従うが、所領を半分に減らされた為、秀吉に背き、1585年(天正13)秀吉の紀州征伐の際、攻め落とされた。
松尾谷を挟み、東西2つの尾根上に築かれ、3つのピークに出丸・西の城・東の城が設けられており、その間にはいくつもの堀切や竪堀が確認出来る。総延長は約1キロに及び、その規模から紀北第一級の山城とも呼ばれている。登山口は出丸経由登山口・西の城と東の城中間に出る登山口東の城経由登山口の3つがあり、周回する事が出来る。
出丸下竪堀 出丸 出丸・西の城間堀切
出丸・西の城間竪堀 出丸・西の城間堀切 西の城下竪堀
西の城 西の城土塁 西の城・東の城間堀切
西の城・東の城間細尾根 東の城下虎口 東の城
東の城堀切 東の城南尾根堀切 東の城経由登山口

参考文献 「近畿の城郭 戎光祥出版」
                    「三重・奈良・和歌山の城郭 新人物往来社」   
訪城回数 1
2020年1月