葱生城

葱生城なぎじょう
大阪府大阪市旭区生江3丁目
Mapion

--常宣寺--
別名     
交通 JRおおさか東線「城北公園通駅」から徒歩15分。
築城年代 1576年(天正4))
築城者 顕如
形式 平城
主な城主    
1568年(永禄11)石山本願寺11代顕如の時、織田信長が足利義昭を奉じ入京すると、信長と本願寺との対立は深まり、1570年(元亀1)9月、信長からの石山退去要求を拒否した顕如は全国の門徒衆に檄を飛ばし、10年に及ぶ石山合戦が始まる。一時的な和議を重ねつつ一進一退を繰り返したが、1576年(天正4)信長の本願寺包囲攻撃をもって一挙に激化した。信長が大坂周囲の要衝10ヶ所に付城を構えたのに対し、顕如は高津・丸山・ひろ芝・正山・森口表・大海・飯満・中間村・鴫野・野江・楼岸・勝曼・木津・難波等、51か所に出城を構え、守将を置いた。この51ヶ所の一つが葱生城といわれる。また平安時代以降、榎並庄を形成していた村の一つで石山合戦の際、この榎並庄の稲田を刈り、軍糧として本願寺に献じたという。
大字「荒生(なぎ)」の東方に古城が在ったと伝えられる。集落内の常宣寺には本願寺8代蓮如筆の「六字名号」が伝来し、葱生城案内板が設置されている。

参考文献 「織田信長合戦全録 中公新書」
           「大阪・兵庫の城郭 新人物往来社」  
訪城回数 1
2019年12月