青森県青森市浪岡大字浪岡五所 --北館二重堀跡-- |
別名 | 浪岡御所・北之御所 |
交通 | JR奥羽本線「浪岡駅」から徒歩30分。 |
築城年代 | 室町時代 |
築城者 | 北畠顕義 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 北畠顕村 |
南北朝時代に活躍した北畠親房、顕家の子孫が拠り、戦国時代まで居城とした。 北畠氏の浪岡入部の時期については諸説あり、明らかではないが、15世紀後半顕義の頃という見方が強い。この後浪岡北畠氏は浪岡御所・大御所・北の御所と崇められ、強い影響力を持ち続けた。また別に顕信の子守親も浪岡入りし、こちらの系統は川原御所と呼ばれた。 戦国時代に入り、浪岡北畠氏は大浦氏・大光寺氏等と津軽を三分する勢力を持っていたが、1562年(永禄5)同族同士の内紛である「川原御所の乱」が起こり、浪岡御所具運が川原御所具信に討たれた。これを期に浪岡北畠氏は急速に衰え、1578年(天正6)具運の跡を継いだ顕村は大浦(津軽)為信に攻められ、浪岡北畠氏は滅亡した。 |
城址碑 | 北館 家臣屋敷群があったと考えられる |
北館・遺構が平面表示されている |
北館土塁 | 北館二重堀 | 東館 |
北館西側虎口 | 西館・内館(本丸)間堀跡 中央に土塁兼通路が設けられ、 二重になっている |
内側から見る西館虎口 |
西館土塁(土壇) | 内館(本丸) | 検校館・西館南側 湿地、浪岡川に守られている |