成東城

成東城なるとうじょう
千葉県山武市成東
Mapion

--城之内曲輪空堀--
別名 鳴戸城
交通 各線「成東駅」から徒歩20分。
北東麓に建つ本行寺前に城址入口があります。
築城年代 1394〜28年(応永年間)
築城者 印東四郎入道
形式 平山城
主な城主 千葉胤定
鎌倉時代、成東郷は既に千葉氏の支配下にあったと考えられ、1394〜28年(応永年間)千葉氏属臣であった印東四郎入道により築城されたと伝えられる。
1530年(享禄3)成東城は千葉介勝胤により再興され、5男胤定が城主となり、成東八郎を称したという。
1590年(天正10)豊臣秀吉による小田原攻めに際し、胤定の子将胤は討死し、後北条氏の滅亡と共に成東城も開城した。その後成東城2万石は石川康通や青山忠成等が領有するが、1620年(元和6)青山氏が武蔵国岩槻城へ移ると、成東城も廃城となった。
外郭部分は宅地化により破壊されているが、城址公園として整備されている城之内曲輪や愛宕神社が建つ本丸付近は遺構が良好に残されている。
城之内曲輪(二の丸) 城之内曲輪土塁 城之内曲輪櫓台上
城之内曲輪から九十九里浜方面 本丸(愛宕曲輪)空堀 本丸(愛宕曲輪)に建つ愛宕神社

参考文献 「現地案内板」
                  「房総の古城址めぐり 有峰書店」
                      「千葉・神奈川の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2012年11月