宮崎県児湯郡木城町椎木 --陣の内バス停付近-- |
別名 | 目白坂砦 |
交通 | 東九州道「高鍋IC」から車で15分。 |
築城年代 | 1587年(天正15) |
築城者 | 宮部継潤 |
形式 | 砦 |
主な城主 | 宮部継潤 |
1587年(天正15)3月、豊臣秀吉は九州征伐に乗り出し、4月6日松山塁に本陣を置いた羽柴秀長は8万の大軍で51ヶ所の陣を設け、高城を包囲する。その際高城や高城川を見下ろせる絶好の地にあるこの根白坂にも島津氏の後詰に備える為に陣城を築き、宮部継潤・黒田孝高(官兵衛)・木下重堅ら1万5千の大軍が布陣した。 これに対し島津義久・義弘らは2万の兵を率い後詰に駆けつけ、4月17日要地である根白坂を奪還すべく夜襲を仕掛けるが、継潤はあらかじめ堀や土塁、柵を設け、鉄砲隊を配置していた為、島津方は忠隣が鉄砲で撃たれ討死する等大打撃を受け、柵を突破出来ず退却した。(根白坂合戦) この時継潤は島津軍を追撃しようとしたが、尾藤知宣がこれを制し、継潤も思い留まった。九州征伐を終えて帰国の途中、下関にてこの話を聞いた秀吉は怒り、知宣の讃岐領を没収したという。 現在台地上は一面畑となっており、遺構は確認出来なかった。 |
陣の内バス停付近に立つ案内板 | 陣の内バス停東側 | 高城から見る根白坂台地 |