群馬県太田市世良田町 --総持寺-- |
別名 | 館の坊 |
交通 | 東武伊勢崎線「世良田駅」から徒歩15分。 |
築城年代 | 1157年(保元2) |
築城者 | 新田義重 |
形式 | 館 |
主な城主 | 新田氏 |
1157年(保元2)源義家3男義国の子で新田氏祖である義重により築かれたとされ、居住者については義重の他、新田氏4代政義失脚後、一時岩松氏と共に惣領家を継いだ世良田頼氏、新田氏8代義貞等、諸説あるが、いずれにしても新田宗家、またはそれに近しい一族の館であったと考えられる。 平安から鎌倉時代の世良田は新田荘の経済・文化的中心であり、1193年(建久4)源頼朝が那須野・三原からの帰途に遊覧した(吾妻鏡)新田館はここであったと考えられる。 1333年(元弘3)義貞の時、鎌倉幕府執権北条高時は世良田は有徳の者が多いとし、縁者の出雲介親連と渕名荘政所の御内人黒沼彦四郎を使者として派遣し、莫大な軍資金を強要した。これに義貞は怒り、出雲介親連を捕らえ、黒沼彦四郎を世良田の里(二体地蔵塚)で斬り、挙兵を決意したといわれるが、この場所も新田館であったと考えられている(反町館とも)。 昭和初頭まで堀の痕跡や土塁が見られたという。 |
門前に立つ新田荘遺跡碑 | 境内に立つ館址碑 | 西側を流れる早川 |
歴史資料館前に立つ新田義貞像 |
長楽寺境内に立つ新田一族供養塔 |
二体地蔵塚 |