宮崎県都城市野々美谷町 --諏訪神社(諏訪城)-- |
別名 | |
交通 | JR日豊本線「都城駅」から車で20分。 |
築城年代 | 1352年(正平7)頃 |
築城者 | 北郷氏か |
形式 | 山城 |
主な城主 | 樺山(島津)資久 |
築城年代について不明な点が多いが、1352年(正平7)北郷資忠が薩摩迫に入部した頃の築城と伝わる。その後、球磨の相良氏に侵され、相良前頼が一時入城した。 1394年(応永1)島津元久と北郷義久が攻め落とし、樺山音久に守らせたが、1521年(大永1)にはその子長久を大隈小浜に移し、代わって北郷尚久を城主とした。同3年11月、都於郡城主伊東尹祐が北原久兼と組み、大軍を率いて攻めてきた。尚久は流れ矢に当たり討死するが、攻め手の尹祐も攻城中病死した為、この時は落城しなかったが、後に北原氏に攻め落とされる。 1599年(慶長4)伊集院忠棟が伏見で島津忠恒に討たれると、その子忠真が都之城12外城に拠って島津宗家と争った。この庄内の乱の際、野々美谷城は島津忠恒に攻略され、北郷忠能の領有となる。 1615年(元和1)一国一城令により廃城となった。 |