能見城

能見城のうけんじょう
山梨県韮崎市穴山町
Mapion

--守屋一族発祥の地碑--
別名  
交通 JR中央本線「穴山駅」から徒歩10分。
築城年代 1581年(天正9)?
築城者    
形式    
主な城主 武田勝頼
築城年代は不明だが、武田信玄の家臣であった守屋新兵衛尉定知がこの地にいたと伝えられ、山頂に守屋一族発祥の地碑が立つ。
1581年(天正9)新府城北方を守る外郭防衛線に組み込まれた。西側釜無川崖上にある西城から能見城、東側は御名方神社、御崎神社付近までの東西約1、5キロを外郭線とし、七里岩上を遮断するように外堀を巡らせていたと考えられ、御名方神社付近には僅かに土塁や堀が残されている。
しかしこれらの遺構は1582年(天正10)天正壬午の乱の際、徳川家康が築いたものとも考えられている。
穴山駅西側にある西城遠望 御名方神社裏に残る堀 御名方神社境内にある馬蹄石

参考文献 「戦国武田の城 有峰書店新社」
訪城回数 2
2006年6月
2008年9月