大阪府大阪市生野区勝山北3丁目 --御勝山古墳-- |
別名 | |
交通 | JR大阪環状線「桃谷駅」から徒歩15分。 |
築城年代 | 1614年(慶長19) |
築城者 | 徳川秀忠 |
形式 | 陣城 |
主な城主 | 徳川秀忠 |
1614年(慶長19)大坂冬の陣に際し、徳川秀忠の本陣が置かれた砦跡。 1615年(慶長20)5月、大坂夏の陣でも秀忠はこの地に陣している。7日大阪方は豊臣秀頼の守備隊として3千を大坂城に残し、残り5万余を天王寺口から岡山口に総動員して、真田幸村・毛利勝永・大野治房らは最後の決戦に望む。 天王寺方面と同様、この地でも治房らの奮戦により徳川勢は押されるが、その後数に勝る徳川方は反撃に転じると、大坂勢は撤退した。 前方後円墳が利用されたもので、墳形は破壊され、現在は後円部が残るだけとなっている。 |
御勝山古墳碑 | 御勝山古墳 | 南から見る御勝山古墳 |