小俣城

小俣城おまたじょう
栃木県足利市小俣町
Mapion
登山口地図
--東堀切--
別名    
交通 JR両毛線「小俣駅」から登山口まで徒歩25分。
地図の地点、宝殊坊橋たもとに登山口があります。
築城年代
築城者 小俣氏か
形式 山城
主な城主 小俣氏・渋川氏
築城者・年代について不明な点が多いが、足利泰氏6男である賢宝(小俣氏祖)、または泰氏2男である義顕の築城ともいわれる。
賢宝を祖とする小俣氏は代々鶏足寺別当職を務め、南北朝時代、小俣義弘は足利氏方先鋒として活躍するが、後に足利氏の内紛に巻き込まれ、没落した。
その後小俣には渋川氏が入部し、戦国時代初期、小俣渋川氏は古河公方足利氏に属したが、1512年(永正9)頃、上杉方に転じた。
続いて後北条氏が台頭すると渋川義勝は太田金山城主由良成繁と共に後北条氏に従った。1572年(元亀3)4月、義勝が小田原に出向き、城主不在の小俣城は上杉謙信に攻められたが、城代石井尊空らは防戦し、上杉勢を撃退している。
1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めの際、義勝は小田原城に籠城し、後北条氏の滅亡に伴い、小俣領は没収され、小俣城は廃城となった。
標高305メートル、鶏足寺裏山の城山に位置する。山頂の本丸から北・西の山腹、東の尾根上に築かれており、複数の腰曲輪・堀切が設けられ、一部石積みも見られる。
登山道から南側の眺め 東曲輪堀切 東曲輪
堀切 堀切 石積み
本丸東下曲輪 本丸虎口石積み 内側から見る本丸虎口
本丸 本丸北帯曲輪 南から城址遠望

参考文献 「とちぎの古城を歩く 下野新聞社」
           「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2022年1月