太平山城

太平山城おおひらさんじょう
栃木県栃木市平井町
Mapion

--太平山神社--
別名 富士山城
交通 JR両毛線「大平下駅」から徒歩60分。
築城年代    
築城者 皆川氏
形式 山城
主な城主 皆川氏
皆川城主皆川氏支城とされる。
1585年(天正13)皆川広照攻略の為、藤岡城に着陣した後北条勢は太平山城を占拠すると皆川城の攻撃を開始した。太平山城から攻め降りた後北条勢に対し、広照は草倉山で約3ヶ月にわたり防戦し、両軍多数の戦死者を出すが、合戦は徳川家康・佐竹義重の仲介により一時的に終結、翌年北条氏政の養女(中御門中納言宣秀の娘)が広照に嫁ぐ事で和議が成立した。
太平山神社から富士浅間山頂に至る尾根を利用した山城。太平山神社北西の高地は居館跡とされ、石垣が残されている。ここから細尾根を辿り、富士浅間神社が建つ山頂が本丸とされ、櫓台跡が確認出来る。

●謙信平
太平山展望台である謙信平は1568年(永禄11)9月、上杉謙信が北条氏康と当時の大中寺住職虎溪和尚の斡旋により大中寺において和議を結んだ後、太平山に登って兵馬の訓練を行い、南の関東平野を見渡してあまりの広さに目を見張ったという故事からその地名が生まれたといわれる。
居館跡である奥宮 居館跡 居館跡石垣
富士浅間神社へ続く細尾根 本丸下腰曲輪 本丸に建つ富士浅間神社
本丸西尾根堀切 謙信平 謙信平からの眺め

参考文献 「栃木県の中世城館跡 栃木県教育委員会」
       「下野戦国史 皆川広照の生涯 下野新聞社」
訪城回数 1
2020年12月