長野県長野市豊野町大倉 --南東から城址遠望-- |
別名 | 大蔵城 |
交通 | JR飯山線「信濃浅野駅」から登山口まで徒歩30分。 南麓から登山道があります。 |
築城年代 | 1243〜46年(寛元年間) |
築城者 | 小笠原長清 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 島津氏 |
鎌倉時代、信濃国守護小笠原長清が築いたとされ、その子与一長澄が大倉を称し、居住したと伝わる。 戦国時代には上杉氏勢力下にあった島津氏の領有となり、本拠である長沼館の詰城として、また武田氏の北信濃侵攻に対する備えとして機能していた。 その後廃城となったが、1582年(天正10)武田氏滅亡後、川中島4郡を支配した織田信長家臣森長可に対して、上杉景勝と手を結んだ芋川荘(現上水内郡三水村芋川)の芋川親正を将とする8千の一揆が蜂起し、飯山城を占拠すると更に長沼城も攻撃した。そして一揆勢はこの古城を修築して立て籠もったが、4月7日反撃に転じた織田勢との激戦の末、城外で1250余人が討ち取られ、城内に残っていた女性、子供1千余人も切り捨てられたという。 |
三郭東竪堀 | 三郭から二郭方面 | ニ郭に残る石積み |
二郭・主郭間堀切 | 主郭 | 主郭に立つ城址碑・五輪塔 |
井戸郭 | 井戸跡 | 主郭背後には4条の堀切が連続する |