長野県飯山市飯山 --本丸枡形虎口-- |
別名 | |
交通 | JR飯山線「北飯山駅」から徒歩10分。 |
築城年代 | 1558〜70年(永禄年間) |
築城者 | 上杉謙信 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 岩井信能 |
元々常盤牧一帯に住した小豪族である泉氏の居城に始まるとされる。1213年(建暦3)2代将軍源頼家の遺児である千手(寿)を擁し、執権北条義時に対して謀反を企てた泉小次郎親衡がこの地に逃れ、泉氏の祖になったのだという。 この地は東は千曲川に沿い、西は関田・斑尾の山地に囲まれ、越後への軍事交通の要地で、後に上杉謙信の属城となった。1555〜58年(弘治年間)頃、武田氏の圧迫によって中野館を退去した高梨氏はこの飯山城に入る。1561年(永禄4)第4回川中島合戦後、武田氏は奥信濃深くに侵入し、上杉方の防衛線は飯山付近を残すのみとなっていた。 1564年(永禄7)頃、上杉謙信は飯山城を重要視し、本格的な築城に取り掛かり、信濃進出・又は国境防衛の拠点となった。 1578年(天正6)謙信の死後、御館の乱が起こり、飯山地方も巻き込まれたが、その後飯山城は武田勝頼が領する事となった。 1582年(天正10)武田氏滅亡後、一時織田勢が飯山城を占拠するが、織田信長が本能寺で討たれると再び上杉景勝の支配下に入り、岩井信能が入城した。 1598年(慶長3)上杉景勝が会津へ移ると、関・皆川・堀・佐久間・松平・永井・青山・本多の諸氏が交替で城主となった。 |
本丸に建つ葵神社 | 本丸枡形虎口 | 本丸東石垣 |
二の丸 | 三の丸 | 三の丸から北側の眺め グラウンドとなる調練場・番所跡 |