静岡県裾野市深良 --興禅寺-- |
別名 | |
交通 | JR御殿場線「岩波駅」から徒歩35分。 |
築城年代 | 鎌倉時代 |
築城者 | 大森氏 |
形式 | 単壕単郭式 |
主な城主 | 大森親家 |
大森氏の出自については不明な点が多い。系図によると大森氏は平安時代末期、甲駿両国司に任ぜられた藤原北家関白道隆の孫である惟康は三河高橋荘に住していたが、その子親康が駿河郷を領して下向すると、その子親家が大森郷に土着し、大森氏を称した事に始まるとされる。親家は源頼朝に従い、その後子孫は次第に勢力を拡大する。 南北朝期動乱を経て大森頼明(顕)の時、箱根別当職を得ると、春日山城を築き、相模平野に進出した。 興禅寺は字堀之内の南にある小字南堀に位置し、本堂背後の小丘頂には三方に土塁が残されている。他に上丹屋敷や山号を大森山と称す西安寺も大森氏居館と目されている。 |
興禅寺背後の丘に残る土塁 | 曲輪跡 |