大分県大分市顕徳町他 --大分駅前に立つ大友宗麟像-- |
別名 | 大友氏遺跡・西山城・上原館 |
交通 | JR日豊本線「大分駅」から徒歩15分。 |
築城年代 | 鎌倉時代後期 |
築城者 | 大友氏泰 |
形式 | 館 |
主な城主 | 大友義鎮(宗麟) |
豊後国は、1196年(建久7)源頼朝に豊後守護を命じられた大友(古庄)能直が古庄重能を先発として入国し、以来約400年大友氏が支配していた。 大友氏9代氏泰の時、古国府から上野丘台地上に館を移し、古国府の館は別邸として一族近親の住居となった。 1550年(天文19)大友義鑑は嫡子義鎮(宗麟)を遠ざけ、側室の子塩市丸に家督を譲ろうとするが、義鎮派に襲撃され、側室と塩市丸、そして義鑑も討たれた。(二階崩れの変) これにより義鎮が21代当主となると、九州北部を掌握し、府内では南蛮貿易に力を入れ、西洋文化豊かな城下町を作り上げた。 1562年(永禄5)または翌年、義鎮は臼杵城を築くと、大友館を嫡男長寿丸(義統)に譲って移ったとされる。 1593年(文禄2)朝鮮の役で失敗した義統が豊臣秀吉に豊後国を没収されると、府内には早川長敏(長政)、次いで福原直高(長堯)が配され、大友館に入るが、1599年(慶長4)直高は荷揚城を築いて移った。 |
大友遺跡 | デウス堂跡 1553年(天文22)6月、建立され以後 宗麟の保護の下に、1557年(弘治3) 当時、府内には2千人のキリシタンが いたという。 |
万寿寺跡 大友氏菩提寺 |
万寿寺跡北側に残る堀跡 | 豊府稲荷社 1306年(徳治1)大友氏5代貞親が 万寿寺を創建した際、鎮守として 勧請したと伝えられる。 |
南蛮貿易場跡 宗麟の時、府内は南蛮貿易の拠点と なり、フランシスコ・ザビエル等、宣教 師も訪れ、西洋文化豊かな城下町で あった。 |
土塁上に立つ館址碑 |
土塁上 | 上野丘大友館址付近 |