大分県大分市荷揚町 --二重櫓(着到櫓)-- |
別名 | 府内城・大分城・白雉城 |
交通 | JR日豊本線「大分駅」から徒歩15分。 |
築城年代 | 1599年(慶長4) |
築城者 | 福原直高 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 福原直高・竹中重利・松平氏(大給氏) |
1593年(文禄2)朝鮮の役で失敗した大友義統が豊臣秀吉に豊後国を没収されると、府内には早川長敏(長政)、次いで福原直高(長堯)が配され、上野丘にあった大友館に入った。 1597年(慶長2)直高は大分川河口「荷落ち」に築城を開始、慶長4年4月に大半が完成し、大友館から新城へ移ると、「荷落城」では縁起が悪い事から「荷揚城」と命名した。しかし前年豊臣秀吉が亡くなり、発言力が強くなっていた徳川家康から、石田三成の妹婿である直高は改易を命じられ、再び早川長敏が入城する。 1600年(慶長5)関ヶ原合戦で西軍に属した長敏は改易となり、石垣原合戦で戦功を挙げた竹中重利が入封した。重利は未完成であった荷揚城を増築し、慶長7年3月完成した。 その後日根野吉明、そして松平氏(大給氏)が入封し、明治維新を迎えた。 |
南水堀 | 南平櫓 | 東水堀 |
山里丸に建つ松栄神社 | 山里丸・築城当時の石垣 | 人質櫓 |
山里丸・西の丸間に架かる廊下橋 | 冠木門跡 | 大手門 |