乙津川古戦場

乙津川古戦場
大分県大分市西鶴崎2丁目

1587年(天正15)
島津勢×吉岡妙林(妙林尼)
Mapion

--古戦場跡碑--
交通 JR日豊本線「鶴崎駅」から徒歩15分。
1586年(天正14)島津氏は、豊臣氏来援の前に大友氏を討つ事を決め、島津義久・家久は日向路、島津義弘は肥後路から豊後に侵攻を開始する。
この内の一隊、伊集院美作守・野村備中守・白浜周防守らの軍は鶴崎城へ攻め寄せた。この時城主吉岡統増は臼杵城へ拠っていた為、統増の母妙林尼が女将として守りを固め、島津勢に備えていた。
堅固な守りである鶴崎城を攻めあぐねた島津勢は、和議を申し入れ、妙林もこれを受け入れ開城した。
翌年豊臣秀吉が九州征伐へ向かった事を知ると、島津氏は豊後からの撤退を開始する。鶴崎城の島津勢も退去を開始するが、乙津川付近を通過する際、かねてより妙林の指図で待ち伏せていた軍勢に一斉に攻められ、伊集院美作守・白浜周防守は討死、野村備中守も深手を追い、帰国途中で亡くなったという。

参考文献 「大分・宮崎・愛媛の城郭 新人物往来社」
2010年10月