鶴崎城

鶴崎城つるさきじょう
大分県大分市南鶴崎3丁目
Mapion

--城址・肥後藩御茶屋跡碑--
別名     
交通 JR日豊本線「鶴崎駅」から徒歩15分。
築城年代 室町時代
築城者 吉岡氏
形式 平城
主な城主 吉岡統増・吉岡妙林
大友家重臣であった吉岡宗歓は、鶴崎地方を領し、千歳に本拠を構えており、その後この地に平時における館城を築いたとされる。
1586年(天正14)島津氏による豊後侵攻の際、この内の一隊、伊集院美作守・野村備中守・白浜周防守らに鶴崎城は攻められた。この時城主吉岡統増は臼杵城へ拠っていた為、統増の母妙林尼が女将として守りを固め、和議により一度は開城するものの、翌年乙津川付近で島津勢を壊滅させている。
1601年(慶長6)熊本城主加藤清正は鶴崎の地を得て、鶴崎城を改修、御茶屋とした。1632年(寛永9)加藤氏に代わって細川忠利が肥後藩主となるが、その後も御茶屋は引き継がれた。
現在の鶴崎小・鶴崎高付近一帯が城址とされ、鶴崎小校庭隅に碑が立てられている。

参考文献 「現地案内板」
                        「大分・宮崎・愛媛の城郭 新人物往来社」  
訪城回数 1
2010年10月