小山御殿

小山御殿おやまごてん
栃木県小山市中央町1丁目
Mapion
御殿案内板地図

--市役所前に立つ小山評定跡碑--
別名    
交通 各線「小山駅」から徒歩10分。
築城年代    
築城者 徳川氏
形式 御殿
主な城主 徳川家光
徳川将軍家の日光社参の際の休憩・宿泊所として設けられた御殿。1600年(慶長5)関ヶ原合戦の直前に行われた小山評定の吉例にならったものといわれる。
1616年(元和2)徳川家康は没し、翌年日光東照社(後の日光東照宮)にその遺骸が改葬され、一周忌が営まれた。以来日光は徳川将軍家の聖地となり、将軍家の日光社参は19回に及ぶ。中でも3代将軍家光は10回日光社参を行っている。
将軍家の日光社参は1633年(寛文3)4代将軍家綱が行なって以降、1728年(享保13)8代将軍吉宗が再開するまで財政難の為に中絶する。この間大風により建物の一部が壊れてしまった事もあり、1682年(天和2)小山御殿は古河藩によって解体された。
小山市役所から北東の交差点にかけてが御殿跡とされる。往時は厳重な配置が成されており、周囲に堀が廻らされ、また土塁が二重に築かれ、敷地内に16ヶ所の御番所が設けられていたという。

●小山評定
1600年(慶長5)7月24日、徳川家康は会津の上杉景勝を討つべく小山に到着した。この時西で石田三成が挙兵した事を知り、翌25日この地で軍議が開かれた。
軍議は三間四方の仮御殿が急造され、家康・秀忠を中心とし、本多忠勝・本多正信・井伊直政・福島正則・山内一豊・黒田長政・細川忠興ら諸将が参集した。同年9月15日関ヶ原合戦では東軍が勝利を収める事となる。

参考文献 「現地案内板」
              「歴史群像シリーズ 学研」
                        「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2010年4月