寒河江城

寒河江城さがえじょう
山形県寒河江市丸内1丁目
Mapion

--城址碑--
別名     
交通 JR左沢線「寒河江駅」から徒歩10分。
築城年代 1225〜27年(嘉禄年間)
築城者 大江親広
形式 平城
主な城主 寒河江氏
1225〜27年(嘉禄年間)大江広元の子大江親広により築かれたとされる。はじめは本丸だけの館城であったが、室町時代初期、8代時氏により拡張され、二の丸・三の丸を持つ寒河江城が完成したとされ、またこの頃大江氏は寒河江氏を称し、18代約360年にわたり在城した。
1584年(天正12)18代高基の時、出羽統一を目指す山形城主最上義光に攻め滅ぼされ、寒河江城は山形城の属城となる。
1622年(元和8)最上氏が改易となると、山形城に入城した鳥居忠政の預かりとなり、1636年(寛永13)鳥居氏改易に伴い寒河江城は廃城となった。
現在本丸跡は寒河江小となり、西側正門脇に城址碑・案内板が立つ。
本丸南側 寒河江小東側に立つ本丸跡碑 本丸に建つ駒形堂

参考文献 「現地案内板」
                        「山形・宮城・福島の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2014年9月