西方院山城

西方院山城さいほういんざんじょう
奈良県奈良市高畑町
Mapion

--主郭東二重堀--
別名  
交通 近鉄奈良線「近鉄奈良駅」から徒歩20分。
築城年代 1444年(文安1)
築城者 古市氏
形式 丘城
主な城主 古市氏
1444年(文安1)当時、大和を二分して北の筒井勢力、南の越智勢力との対立が激化していた。越智方には古市胤仙や豊田頼英ら衆中大半が与し、更に大乗院前門跡安位寺経覚がついたので興福寺権力の主流となった。この時陣所として現在奈良ホテルの建つ鬼薗山が選ばれ、築城が開始された。しかし大乗院境内であった為、代わりの城として東隣にあるこの西方院山に着工されるが、当初の計画通り再び鬼薗山に築城されると、そのまま放置される事となった。
1478年(文明10)4月、応仁の乱の市中合戦の陣所として西方院山に築城が計画され、翌年8月から着工された。この時以前に二重堀まで出来ていたものを改修した記録が残されている。しかし完成して間も無く、筒井方に攻められ、城兵自ら火を放ち逃亡、3日間という短命な城となった。
瑜伽神社裏手が城址だが、神社側からはフェンスがあり入れない為、西側麓のホテル駐車場から小道を登る事となる。特に整備はされていないが、下草が無い為、見学しやすく、大規模な二重堀も綺麗に残されている。
主郭西堀切 土橋 主郭

参考文献 「歴史群像シリーズ 学研」
                  「三重・奈良・和歌山の城郭 新人物往来社」   
訪城回数 1
2008年12月