堺城

堺城さかいじょう
大阪府堺市堺区宿院町他
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案内板地図

--案内板--
別名 堺環濠
交通 阪堺電気軌道阪堺線「宿院駅」他。
築城年代 室町時代
築城者 大内義弘
形式 平城
主な城主     
古くから交通の要衝であった堺だが、本格的な町場が形成されたのは室町時代の頃と考えられている。1378年(永和4)和泉守護山名氏清は堺に守護所を移しており、1399年(応永6)には将軍足利義満と対立する守護大内義弘が長門・周防の兵を率いて堺に上陸し、おびただしい勢楼・矢倉を構えたという。
その後堺は貿易港として栄え、堺商人たちは自衛の為、町の周囲に堀を廻らし、自由都市として繁栄した。
1583年(天正11)大坂城を築いた豊臣秀吉は近くに環濠を備えた武装都市を置く事は危険とし、1586年(天正14)環濠の埋め立てを命じた。
1615年(慶長20)4月、大坂夏の陣に際し、26日大坂方大野治房は筒井定慶(正次)が守る大和郡山城を占拠する。間も無く徳川方水野勝茂らが反撃に出た為、河内に退くと、徳川方兵站基地となっていた堺は治房の弟治胤により焼き討ちされた。この時2万の家屋と多くの寺社が焼失したといわれ、その後京で捕らわれた治胤は堺の刑場で火刑に処されたという。
戦後徳川幕府は壊滅状態となった堺の復興に尽力し、碁盤目状に町割りがされ、新たな環濠が掘られた。この環濠は南は土居川として残されているが、東と北は埋め立てられ、また西、海岸に面した部分も近世に埋め立てが進み、内川と呼ばれる水路になっている。
南を流れる土居川 月蔵寺 兵火による焼け瓦を組み入れて
築造されたと伝わる土塀
大野治胤慰霊塔 鉄砲年寄榎並・芝辻氏屋敷跡 鉄砲鍛冶屋敷

参考文献 「大阪府中世城館事典 戎光祥出版」
      「大阪・兵庫の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2017年1月