奈良県大和郡山市城内町 --追手門(梅林門)-- |
別名 | |
交通 | 近鉄橿原線「近鉄郡山駅」から徒歩10分。 |
築城年代 | 戦国時代初期及び1580年(天正8) |
築城者 | 郡山氏及び筒井順慶 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 豊臣秀長 |
中世、郡山の丘陵には「郡山衆」と称される武士団の居館が点在しており、その内郡山中氏の居館が筒井氏との争いの中、次第に城郭化したと考えられている。 1498年(明応7)筒井氏に攻められた郡山中氏は没落し、郡山城はその支配下に入る。 1577年(天正5)松永久秀が信貴山城に滅ぶと、筒井順慶により縄張りされ、1580年(天正8)織田信長の大和一国破城命令後、筒井城から移ると、本城として本格的に築城された。 1584年(天正12)順慶没後、定次が跡を継ぐが、翌年伊賀上野へ移ると、代わって豊臣秀長が大和・和泉・紀伊100万石で入城した。 その後豊臣政権5奉行の一人増田長盛に受け継がれるが、1600年(慶長5)関ヶ原合戦後、西軍に従った長盛は改易となり、大久保長安・山口氏・筒井定慶(正次)が在番した。 1615年(慶長20)4月26日、大坂夏の陣の決戦に先立ち、定慶が守る郡山城は大坂方大野治房に攻められ、一時占拠される。大坂夏の陣以降、水野勝成、松平氏、本多氏が続いて入城する。 1724年(享保9)甲府城から柳沢氏が入ると、幕末まで柳沢氏15万石の居城として栄えた。 |
二の丸(郡山高校)南にある鷺池 | 二の丸(郡山高校)西にある鰻堀池 | 五軒屋敷堀(五軒屋敷池) |
鉄門跡 | 毘沙門曲輪東堀 | 毘沙門曲輪南堀 |
竹林門跡 | 本丸に建つ柳澤神社 | 本丸・天守台石垣 |
本丸・天守台上 | 天守台北側石垣に積まれている さかさ地蔵 |
本丸西堀 |
本丸東堀 | 追手向櫓 | 常念寺裏手・外堀 |