真田城

真田城さなだじょう
神奈川県平塚市真田
Mapion

--城址・天徳寺--
別名 実田要害
交通 小田急線「東海大学前駅」から徒歩20分。
築城年代 平安時代末期
築城者 真田義忠
形式 山城
主な城主 上田氏
三浦庄司義継の4男、岡崎城主岡崎四郎義実の嫡子、真田(佐奈田)義忠の居城とされる。1180年(治承4)8月23日夜、源頼朝が平家討伐の為挙兵すると、義忠は父と共にそれに従い、石橋山で俣野五郎景久の家臣である長尾新五、新六に討たれた。この時義忠は25歳であった。一説に義忠は痰が咽につまり声を出す事が出来ず討たれたといわれ、喘息・痰咳の神(真田明神)として崇められている。
1495年(明応4)韮山に兵を挙げた伊勢新九郎長氏(北条早雲)に小田原城を追われた大森藤頼がこの真田城に逃れ、3年に渡り早雲と争った後、滅ぼされたともいわれるが、諸説あり明らかではない。
天徳寺は後北条氏の家臣鈴木隼人が1574年(天正2)に建立したもので、この時真田城は既に廃城となっていた。
南空堀 北麓を流れる川 北東から城址遠望

参考文献 「現地案内板」
                      「千葉・神奈川の城郭 新人物往来社」
訪城回数 2
2008年2月
2010年2月