大阪府大阪市天王寺区玉造本町 --三光神社・真田幸村像-- |
別名 | 偃月城 |
交通 | JR大阪環状線「玉造駅」から徒歩5分。 |
築城年代 | 1614年(慶長19) |
築城者 | 真田信繁(幸村) |
形式 | 平城 |
主な城主 | 真田信繁(幸村) |
1614年(慶長19)徳川氏と豊臣氏の対立の中、10月9日、大坂方の誘いを受け九度山を脱出した真田信繁(幸村)は、大坂城に入城した。大坂城には幸村の他、後藤又兵衛基次・長宗我部盛親等、浪人衆が続々と入城し、総勢13万にも膨れ上がった。 幸村は大坂城の南面の防御が弱い事に気付き、寄手の南正面口への攻撃を側面から妨害する為、この地に出城を構え、幸村以下3千人余りの将兵を以って備える。この出城は三日月形をした形から偃月城とも呼ばれた。 これに対し徳川方は総勢20万で大坂城を包囲した。 12月4日早朝、真田丸前面に陣する前田利常は攻撃を開始するが、幸村の采配の前に多数の死者を出し退いている。 豊臣氏と徳川氏が大坂城二の丸・三の丸の破却を条件に和睦すると、真田丸も破却された。 翌年大坂夏の陣で幸村は家康本陣へ猛攻するが、安居神社付近で討死した。 |
伝・真田の抜け穴 | 伝・真田の抜け穴内部 | 心眼寺に立つ出丸城跡碑 |