青森県三戸郡三戸町梅内 --鍛冶屋御門石垣-- |
別名 | 留ヶ崎城・三戸高城・御古城 |
交通 | 青い森鉄道「三戸駅」から徒歩30分。 |
築城年代 | 1558〜1570年(永禄年間) |
築城者 | 南部晴政 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 三戸南部氏 |
1189年(文治5)源頼朝による奥州征伐で戦功を挙げた南部氏初代光行は糠部の地を賜り、1191年(建久2)一族家臣を率いて入国したと伝えられる。 1539年(天文8)三戸南部氏24代晴政の頃、当時の居館聖寿寺館が家臣赤沼備中の放火により焼失した為、1558〜1570年(永禄年間)この三戸城を築き本拠とした。 1590年(天正18)三戸南部氏26代信直は豊臣秀吉による小田原攻めに参陣、その功により南部七郡を領有する事となった。 1591年(天正19)九戸政実の乱の後、信直は九戸城へ本拠を移し、1597年(慶長2)盛岡城の築城が開始され、完成すると盛岡城が南部氏居城と定められた。三戸城は御古城と呼ばれ、1684〜1688年(貞享年間)まで城代が置かれた。この後城代は廃止され、代官支配が始まり、明治を迎えた。 時間の都合で東半分しか見る事が出来なかったが、西側には本丸にあった御三階をモデルとする温故館や復元された門が建てられている。 |
鍛冶屋御門跡 | 奥瀬与七郎屋敷跡 | 上段御馬屋跡 |
本丸 | 淡路丸 | 城下を流れる熊原川 |