岩手県盛岡市内丸1 --本丸・二の丸間堀切-- |
別名 | 不来方城 |
交通 | 各線「盛岡駅」から徒歩20分。 |
築城年代 | 1633年(寛永10)完成 |
築城者 | 南部信直 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 南部氏 |
1591年(天正19)九戸政実の乱後、三戸城を居城としていた南部信直は九戸城へ移ると福岡城と改め、本拠とした。しかし福岡城は領内北に位置する事、そして浅野長政らの進言もあり、この地に築城して再び移転する事を計画、1597年(慶長2)鋤初め(起工)をしたと伝えられる。1599年(慶長4)信直は福岡城で没するが、工事は子利直に引き継がれ、1615〜24年(元和年間)利直は福岡城から盛岡城へ移ったといわれる。 しかし中津川や北上川が度々氾濫して石垣が崩れたりした為、利直は斯波氏の居城であった高水寺城を修復して再び移っている。その後修復を加え盛岡城が完成したのは1633年(寛永10)3代重直の代になってからであった。以後明治維新までの230余年、盛岡城は南部氏居城として続いた。 1873年(明治6)盛岡城は破却され、翌年には建物の大半が取り壊され荒廃していたが、1906年(明治39)公園として整備され現在に至る。 |
三の丸井戸跡 | 二の丸石垣 | 二の丸門跡 |
二の丸 | 本丸石垣 | 本丸・二の丸間堀切 |
本丸下腰曲輪(馬場跡) | 本丸石垣 | 吹上御門跡石垣 |