長崎県平戸市田平町里免 --本丸南西石塁-- |
別名 | 田平城 |
交通 | 松浦西九州線「たびら平戸口駅」から徒歩20分。 |
築城年代 | 1192年(建久3) |
築城者 | 峰披 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 峰昌 |
平安時代末期、松浦氏始祖である源久(松浦久)の孫といわれる峰披が伊万里の峰邑からこの地に本拠を移すと、その子馴と共に里田原の低地を開拓したと伝えられ、1192年(建久3)幕府から所領を安堵されている。以降田平は峰氏拠点となり、里城も次第に拡充されていったものと考えられる。 1491年(延徳2)峰昌の時、平戸の松浦弘定との間で平戸・田平合戦が起こり、大内氏の斡旋により和睦が成立すると、昌は田平を弘定に譲って隠退し、里城は平戸松浦氏の支城となった。 現在「日本城郭大系 新人物往来社」に掲載される里城要図通り、遺構が確認出来る。南西には里城城主墓所があり、その北側にも石塁に囲まれた空間が見られるが、遺構かは不明。この地域には石塁が散見され、城址に残る石塁についてもどこまでが往時のものか疑問が残る。 |
本丸西屋敷跡 | 里城城主墓所 |
墓所北側、石塁に囲まれた空間 |