世田谷代官屋敷

世田谷代官屋敷せたがやだいかんやしき
東京都世田谷区世田谷1丁目
Mapion

--代官屋敷表門--
別名    
交通 東急世田谷線「上町駅」から徒歩5分。
築城年代 1578年(天正6)
築城者 大場信久
形式 屋敷
主な城主 大場氏
大場家の始祖とされる大場越後守信久は世田谷城主吉良氏四天王と称される重臣であった。1578年(天正6)後北条氏が世田谷新宿を設けて楽市を開くと、信久・同外記房勝父子は元宿からこの地に居を移した。後北条氏から市の管理を命ぜられたものと思われる。
1633年(寛永10)近江国彦根藩主2代井伊直孝が江戸屋敷の賄料として世田谷15ヶ村(後に20ヶ村)を給されると、信久の嫡孫盛長は僅か15歳にして世田谷代官に任ぜられるが、弱冠20歳の若さで亡くなる。その為事実上の代官職は同族の大場市之丞が勤め、盛長の子孫は上町の名主と問屋役を勤める事となった。
しかし1739年(元文4)4代目市之丞が年貢未進の責を問われ追放となると、7代目当主六兵衛盛政が代官職に就き、幕末まで彦根井伊家世田谷領(2千3百石余)の代官職を世襲した。この屋敷は大場家7代六兵衛盛政が1737年(元文2)・1753年(宝暦3)に2度に渡る工事を行い完成した。
主屋 井戸 白州跡

参考文献 「世田谷区立郷土資料館」
          「世田谷代官屋敷パンフレット」
訪城回数 2
2007年11月
2017年5月