瀬戸烽火台

瀬戸烽火台せとのろしだい
長崎県壱岐市芦辺町瀬戸浦
Mapion

--復元された烽火台--
別名     
交通 「芦辺港」から徒歩20分。
築城年代 664年(天智天皇3)
築城者 天智天皇
形式 烽火台
主な城主     
660年(斉明天皇6)百済が唐・新羅連合軍に敗れ、滅亡すると、百済遺臣らは友好国である倭国に救援を求める。倭国は百済再興の為、援軍を送るが、663年(天智天皇2)唐・新羅連合軍に白村江の戦いで敗れた。
西からの唐・新羅侵攻の脅威にさらされた倭国は防衛体制の整備を行い、海に近い那津にあった官衙を大宰府の地に移すと、664年(天智天皇3)対馬・壱岐・筑紫に沿岸防備の防人と烽を置いたとされる。この瀬戸の地も重視され、防人と烽火台が設置された。壱岐島からの烽を馬渡島で受け、呼子、大宰府へと伝える仕組みであったという。
少弐公園キャンプ場内に馬渡島の残る烽火台が復元されている。

参考文献 「現地案内板」
訪城回数 1
2015年7月