新宮党館

新宮党館しんぐうとうやかた
島根県安来市広瀬町富田
Mapion

--入口に立つ新宮党霊社碑--
別名 大夫成
交通 JR山陰本線「安来駅」からバス「市立病院前」下車。
館址まで徒歩30分。
築城年代 室町時代
築城者 尼子国久
形式
主な城主 尼子誠久
月山富田城北東麓に位置し、尼子経久の次男で、晴久の叔父である尼子国久とその子誠久、敬久父子館跡。
国久父子は3千余騎の手勢を率い、新宮党と呼ばれ、尼子経久及び晴久による遠征では常に軍事の中核を担い活躍したが、高慢な振る舞いが多く、他の尼子氏家臣から反感を買っていた。これに乗じて尼子氏討滅を目論む毛利元就は、新宮党が毛利氏に通じて謀反を起こそうとしているとの風評を富田城内に流布させた。
1554年(天文23)これを聞いた晴久は城下において国久と誠久を討ち、館に立て籠もった敬久も攻められ自害した。この時難を逃れた誠久の2歳の末子助四郎が、1566年(永禄9)尼子氏滅亡後、山中鹿之助ら尼子氏遺臣に擁立された尼子勝久である。
新宮党の滅亡は、尼子氏の勢力が大きく衰退する要因となった。
館址は太夫神社となっており、遺構は残されていない。入口に立つ新宮党霊社碑は、1853年(寛永6)新宮党300年遠忌に建てられたものという。
館址である太夫神社鳥居 太夫神社 国久・誠久・敬久の墓と伝わる石塔

参考文献 「現地案内板」
                        「鳥取・島根・山口の城郭 新人物往来社」 
訪城回数 1
2012年10月