1669年(寛文9) 松前泰広×シャクシャイン --シャクシャイン像-- |
交通 | JR日高本線「静内駅」から徒歩40分。 |
1669年(寛文9)松前藩の圧政に不満を持ったメナシクル(東方)の首長シャクシャインはシベチャリチャシを拠点として東西に呼びかけ、蝦夷のアイヌは一斉蜂起した。この背景には1667年(寛文7)樽前山の大噴火による食料獲得の困難もあったと考えられている。一斉蜂起したアイヌは各地で松前商船を襲い、和人273人を殺害したとされる。 松前藩より報告を受けた江戸幕府は、松前藩主松前矩広がまだ幼かった為、松前氏一族の旗本松前泰広を上使として派遣し、鎮圧に当たらせる。戦いは約2ヶ月に及ぶが、松前軍の鉄砲の威力に押されたシャクシャインは釧路まで退き、長期戦に持ち込もうとする。しかしこれを察知した松前藩は偽りの和睦を申し出、10月23日、松前藩陣営に赴いたシャクシャインは酒宴の席で謀殺され、乱は終息した。 |