勝鬘寺

勝鬘寺しょうまんじ
愛知県岡崎市針崎町
Mapion

--勝鬘寺境内・渡辺高綱墓所--
別名     
交通 JR東海道本線「岡崎駅」から徒歩15分。
築城年代        
築城者         
形式 寺院
主な城主 蜂屋半之丞
本証寺・上宮寺と共に真宗三河三寺の一つ。
1563年(永禄6)9月から翌年にかけて起こった三河一向一揆の際、勝鬘寺は一揆方の拠点の一つとなり、蜂屋半之丞ら100余騎が境内に立て籠もり、ここから小豆坂や上和田方面に討って出て、松平家康の軍勢と争った。
1564年(永禄7)1月11日、上和田での戦いでは家康自身銃弾を受ける程の激戦であったが、2月13日上宮寺の一揆が岡崎城を攻めたのを最後に28日頃には鎮定された。
境内には渡辺高綱の墓所がある。高綱は槍の名手半蔵守綱の父で、1月上和田での戦いで内藤正成の矢で負傷し、子真綱と共にこの勝鬘寺に逃れるも、針崎の戦いで破れ、17日この地で討死した。

参考文献 「現地案内板」
              「歴史群像シリーズ 学研」
訪城回数 1
2008年12月