長崎県諫早市高城町 --空堀-- |
別名 | 亀城・諫早城 |
交通 | 島原鉄道線「本諫早駅」から徒歩10分。 |
築城年代 | 1469〜1487年(文明年間) |
築城者 | 西郷尚善 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 諫早直孝 |
1469〜1487年(文明年間)伊佐早地方(諫早)に進出した宇木城主西郷尚善は船越城に入り、次いでこの高城を築いて移ったとされる。以後西郷尚善・純久(有馬晴純弟)・純堯3代は日野江城主有馬氏と結び、勢力を誇った。 1587年(天正15)豊臣秀吉による九州征伐の際、純堯の子信尚は参陣しなかった為、龍造寺家晴(初代諫早家)に攻められ、城を追われた。 2代龍造寺直孝(諫早氏と称す)の時、佐賀鍋島藩支配下に置かれ、1万480石を領する家老格の家臣となる。 5代茂門の時、財政困難の為、邸宅を東麓に構え、高城は廃された。 |
大手門跡 | 東の丸 | 本丸 |
搦手堀切 往時は道は無く木橋が 架かっていたとされる |
土塁 | 西郷井戸 1587年(天正15)龍造寺勢は討った 西郷軍将兵の首をこの井戸で 洗い、家晴に差し出したと伝わる |