多聞城

多聞城たもんじょう
奈良県奈良市法蓮町
Mapion

--城址碑--
別名  
交通 近鉄奈良線「近鉄奈良駅」から徒歩25分。
築城年代 1560年(永禄3)
築城者 松永久秀
形式 平山城
主な城主 松永久秀
1559年(永禄2)8月、松永久秀は大和に入国すると、筒井順慶等の国衆を追い、8月8日信貴山城を改修して居城した。事実上大和は久秀の領国となり、1560年(永禄3)からこの多聞城を5年の歳月を掛けて築城、本城とし、大和を支配した。
1565年(永禄8)8月の宣教師ルイス・アルメイダの通信文によると、天守に相当する四階櫓や城名に由来する多聞櫓が立ち並び、城壁や塁堡は白壁塗りとなっていたという。
その後1573年(天正1)12月、久秀は織田信長に降り多聞城を明け渡すと、信貴山城に退く。多聞城には城番として明智光秀、柴田勝家が兵を置いた。1574年(天正2)3月、信長は東大寺の名香「蘭奢待」を切り取っているが、この時多聞城に立ち寄っている。
現在城址は若草中学校敷地となっており、入口に出土した墓石が並べられている。土塁や堀が残されているようだが、学校敷地内の為、確認出来なかった。
出土した墓石 城址東側 堀切跡である道路

参考文献 「歴史群像シリーズ 学研」
                  「三重・奈良・和歌山の城郭 新人物往来社」   
訪城回数 2
2008年12月
2009年2月