信貴山城

信貴山城しぎさんじょう
奈良県生駒郡平群町大字信貴山
Mapion

--雄嶽(空鉢堂)に立つ城址碑--
別名 信貴城
交通 近鉄生駒線「信貴山下駅」からバス「信貴山」下車。
バス停から朝護孫子寺まで徒歩10分。
築城年代 1536年(天文5)
築城者 木沢長政
形式 山城
主な城主 松永久秀
信貴山は古代より河内と大和を結ぶ要衝として、古くは天智期における高安城中心城域となり、南北朝内乱以後も河内から大和を窺う勢力により陣所として利用された事が考えられるが、本格的な築城は1536年(天文5)木沢長政の時とされ、同11年3月、太平寺合戦で長政が敗死すると、二上山城と共に落城した。
1559年(永禄2)8月、松永久秀が大和に入国すると、筒井順慶等の国衆を追い、8月8日信貴山城を改修して居城する。久秀は南都の直接の押さえとしては多聞城、河内を合わせて支配する要塞としてはこの信貴山城を用い、両城を頻繁に往来した。その間20キロは立野城と筒井氏退散後の筒井城を繋ぎ城としていた。
1577年(天正5)久秀は織田信長に背き、織田・筒井連合軍に攻められ50日間の籠城の末に落城、その後廃城となった。
朝護孫子寺・多宝塔 雌嶽・雄嶽間堀切 雄嶽下腰曲輪
雄嶽(空鉢堂) 雄嶽から南方の眺め 立入殿屋敷北切岸
松永屋敷 松永屋敷東・虎口? 西側高安山方面にある池

参考文献 「現地案内板」
           「戦国の堅城 学研」
                         「三重・奈良・和歌山の城郭 新人物往来社」   
訪城回数 1
2009年10月