神奈川県愛甲郡愛川町田代 --城址・背後の狼煙山-- |
別名 | 田城古城 |
交通 | 小田急線「本厚木駅」からバス「馬渡」下車。 |
築城年代 | 1555〜58年(弘治年間)頃か |
築城者 | 内藤下野守秀勝 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 内藤三郎兵衛秀行 |
1555〜58年(弘治年間)頃、後北条氏の家臣内藤下野守秀勝によって築かれたとされ、秀勝の死後は、その子三郎兵衛秀行が在城した。 1569年(永禄12)三増合戦の際、秀行の守る田代城は武田信玄に攻められ落城したという。城を逃れた秀行は入道となり、1583年(天正11)没したと伝えられる。 現在の愛川中学校敷地の西側付近が城址とされ、背後に狼煙山を構えていた。「関八州古戦録」によると、三増合戦の際、敗れた北条勢が田代山・半原山に籠もったとされるが、この狼煙山が田代山であるとも考えられる。 付近には仕置場・うまや等の地名が残る。また案内板によると、石塁跡が残るという。 |