1569年(永禄12)10月8日 武田信玄×北条氏照・氏邦 --古戦場碑-- |
交通 | 中央自動車道「相模湖IC」から車で30分。 |
1568年(永禄11)武田信玄は今川氏との同盟を破棄し、駿河へ侵攻した事により後北条氏との同盟も崩壊した。 再び駿河侵攻を目論む信玄は東駿の後北条勢を引き揚げさせる為、小田原城を攻める陽動作戦を立てた。 1569年(永禄12)9月、信玄は碓氷峠を越えて西上野に入り南下。途中北条氏邦が籠もる鉢形城、北条氏照が籠もる滝山城を攻めながら進軍し、厚木、平塚を経て、10月1日小田原城に迫る。武田勢は城下に放火し、3日程陣するが、堅固な小田原城を前に撤退を始める。 鎌倉を経て甲府への近道である三増峠を目指すが、北条氏康は氏照・氏邦兄弟に2万の兵で三増峠で待ち伏せさせ、また氏政に武田勢を追撃させる事にした。これに対し信玄は三増峠麓に陣し、小幡信定に津久井城を押さえさせると、山県昌景を韮尾根に布陣させた。 そこに後北条軍は攻めかけ、信玄も小荷駄を捨てさせ両軍激しく争うが、山県勢が挟撃すると、後北条軍は総崩れに追い込まれ敗走した。萩野付近まで進軍していた氏政は敗戦を知り、小田原に引き揚げている。 |
胴塚 | 旗立松碑 | 浅利明神 討死した武田方浅利信種を祀る |