手取城

手取城てどりじょう
和歌山県日高郡日高川町和佐
Mapion
城址入口地図

--西の丸西下堀切--
別名     
交通 JR紀勢本線「和佐駅」から城址入口まで徒歩30分。
築城年代 南北朝時代
築城者 玉置大宣
形式 山城
主な城主 玉置直和
南北朝時代、日高地方に進出した玉置氏は山地荘7ヶ所を領して、鶴ヶ城を築くと山地玉置氏を称した。その後同族の玉置大宣は日高川を下り、この地に在った鎌倉時代からの支配者で山崎城主川上氏を攻略すると、この手取城を築き、和佐玉置氏を称したとされる。以来、同時期に日高に進出した亀山城主湯川氏と結び、160年余年、支配を続けた。
1585年(天正13)羽柴秀吉による紀州征伐の際、玉置氏10代直和は、義父の関係にあり、秀吉に抵抗の構えを見せる湯川直春の協力の求めを拒否した為、両者は争い、手取城は湯川氏に占拠された。その後手取城は秀吉の大軍の前に落城した。
和歌山県内の城址で有数の規模を誇り、遺構も非常に良く残されている。
城址入口・土橋 東の丸 東の丸・付曲輪
東の丸・付曲輪下堀切 東の丸・付曲輪下には石積みが
あるが遺構かは不明
二の丸に立つ城址碑
二の丸 本丸坂虎口 本丸
本丸・西の丸間堀切 西の丸 西の丸・狼煙台跡と考えられる土壇
西の丸北下堀切 西の丸西下堀切から延びる竪堀 西から城址遠望

参考文献 「戦国の城 学研」
                       「三重・奈良・和歌山の城郭 新人物往来社」   
訪城回数 1
2014年1月