和歌山県御坊市湯川町丸山 --本丸に立つ城址碑-- |
別名 | 湯川城・丸山城 |
交通 | 各線「御坊駅」から登山口まで徒歩15分。 西麓、丸山中央集会所付近に碑・案内板があります。 |
築城年代 | 室町時代初期 |
築城者 | 湯川光春 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 湯川直春 |
室町時代初期、日高地方に進出した湯川氏3代光春により築かれ、以後代々湯川氏居城として続いた。 11代直光の頃、守護職畠山氏の広城を攻め、湯川氏は有田・日高・田辺一帯に勢力を誇り、事実上の守護代となる。又この時直光は亀山城は風が強いとの理由から南麓に小松原館を設けている。 1585年(天正13)羽柴秀吉による紀州征伐の際、12代直春は抗戦の構えを見せ、娘を嫁がせていた手取城主玉置直和に協力を求めるが、直和が拒否した為、手取城に攻め寄せた。その結果、亀山城は秀吉の南征軍に攻められると、直春は城を焼いて逃れるが、その後も叔父教春の泊城、龍神山城等で抵抗を続けたとされ、一説に大和国郡山城において羽柴秀長に毒殺されたともいわれる。 亀山一帯のほとんどがみかん畑となっているが、山頂部には大きく二段の曲輪で構成される本丸と四方の腰曲輪が残されている。周囲には土塁が良く残されており、南東には井戸跡や虎口と思われる地形も確認出来る。 |
南から城址遠望 | 本丸下段 | 本丸下段土塁 |
南側の眺め | 西虎口 | 本丸上段 |
本丸に立つ湯川氏供養塔 | 本丸上段土塁 | 南東尾根・井戸跡か |