手賀城

手賀城てがじょう
千葉県柏市手賀
Mapion

--本丸に建つ城址碑--
別名   
交通 各線「柏駅」からバス「手賀」下車。
築城年代   
築城者    
形式 平山城
主な城主 原氏
築城年代は不明だが、小弓城主原胤清の子胤貞が千葉勝胤より手賀600貫を給わり、その後手賀城主として胤親、久胤と続いたと伝わる。
1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めの際、落城したという。
興福院境内が二の丸、その北側が本丸とされる。一帯は宅地化され、遺構の多くが消滅しているが、所々に土塁や堀跡が残されている。この他少なくとも9以上の曲輪の存在が確認され、城域は広範囲に及んでいたと考えられている。
本丸西土塁 本丸西堀跡 本丸
本丸に建つ伏見稲荷大明神 二の丸に建つ興福院 二の丸東土塁

参考文献 「千葉・神奈川の城郭 新人物往来社」
   「東葛の中世城郭 崙書房出版」
訪城回数 1
2021年12月