三重県伊賀市下神戸 --本堂-- |
別名 | 天童山 |
交通 | 伊賀鉄道「丸山駅」から徒歩15分。 |
築城年代 | |
築城者 | |
形式 | |
主な城主 |
小豪族が割拠した伊賀は、戦国大名が生まれなかった地域で、伊賀土豪衆は守護仁木氏を追うと一味同心し、伊賀惣国一揆を結成して諸城を守っていた。事ある時には評定所の上野平楽寺に集まり、衆議の上で決定していたとされ、この無量寿福寺もその評定寺の一つであった。 1576年(天正4)伊勢の実権を握った織田信雄は、伊賀の領国化を狙っていた所、1578年(天正6)北畠氏の被官で伊勢旗頭を努める下山甲斐が、伊賀への手引きを申し入れたので、重臣滝川三郎兵衛勝雅(のち雄利)に命じ、伊賀支配の拠点として丸山に築城を開始した。 これを知った伊賀国土豪は蜂起し、木津川を挟んだこの天童山に立て籠もり、7月25日早朝丸山城に攻め寄せた。不意を衝かれた城兵や多くの人夫は大混乱となり、昼頃三郎兵衛は築城半ばにして僅かな手勢を連れ伊勢へ敗走した。「第一次天正伊賀の乱」 1581年(天正9)第ニ次天正伊賀の乱の際寺は兵火によって焼失したという。 |