寺田縄館

寺田縄館てらだなわやかた
神奈川県平塚市寺田縄
Mapion

--館跡西側--
別名 寺田縄のお屋敷
交通 小田急線「伊勢原駅」からバス「東橋」下車。
築城年代 室町時代末期
築城者 畠山定重
形式
主な城主 布施康能
室町時代末期、扇谷上杉氏に仕えたという畠山重忠から13代目、畠山定重館跡。
その後1571年(元亀2)上吉沢に居住していた布施康貞が没すると、次男康能(康則)はこの地を分知され、惣領として弾正左衛門、佐渡守を称して館を構えた。康能は小田原衆の中でも六番目の大身で、1564年(永禄7)の「清戸番衆交代命令状」にその名がみえ、後北条氏にとって重要な清戸番所の本城である滝の城の城代役を務めていたと思われ、また1568年(永禄11)駿河国蒲原城の在城を命じられている。
1590年(天正18)後北条氏滅亡後、康能の孫である正俊は北条氏直と共に高野山に向かい、その後徳川氏に仕えたという。
かつては周囲に堀を巡らし、お屋敷山と呼ばれる築山まであったが、現在遺構は残されていない。北西には康能が自らの宅地を社地として再興したと伝わる蓮昭寺が建つ。
案内板 館跡南側 Mapion
蓮昭寺

参考文献 「現地案内板」
                   「神奈川の城下巻 朝日ソノラマ」
訪城回数 1
2019年4月