大阪府泉大津市千原町1丁目 --千原城址・四十九山碑-- |
別名 | |
交通 | JR阪和線「信太山駅」から徒歩20分。 |
築城年代 | 1532〜1555年(天文年間) |
築城者 | 玉井壱岐守行家 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 玉井壱岐守行家 |
1532〜1555年(天文年間)玉井壱岐守行家(源宗)が居城とした伝えられる。玉井氏は両曽根(北曽根・南曽根)・吾孫子村の一部・森村・千原村を領した地侍で、行家は最後の当主である。 行家は、管領の座をめぐり細川晴元と争った細川氏綱に属し、晴元方と堺等で争うが、いずれも敗れている。 1561年(永禄4)当時氏綱の居城であった高屋城が畠山氏に奪われると、行家はこの千原城に戻り、1588年(天正16)没した。そして玉井家は絶える事となった。 城址は宅地化され、付近を堀跡とも思われる暗渠化された水路が流れているだけだが、路地奥に行家と家臣49人が葬られたという四十九山がある。そこに残る五輪塔は、行家の家老で1601年(慶長6)に没したという川上宗西の銘が記されている。川上家は江戸時代の大半を通じて千原村の庄屋を勤めた。 |