知久平城

知久平城ちくだいらじょう
長野県飯田市下久堅知久平
Mapion

--梶曲輪の桜--
別名        
交通 JR飯田線「駄科駅」から徒歩25分。
築城年代 鎌倉時代初期
築城者 知久氏
形式 平山城
主な城主 菅沼定利
鎌倉時代初期、伊那郡司源為公を祖とする知久氏により築かれたと伝えられる。
室町時代に知久氏が神之峰城へ移ると、知久平城は出城となった。
戦国時代に入り、甲斐武田氏により攻められ、知久氏は没落、徳川家康を頼った。
1582年(天正10)織田信長死後、家康が信濃へ入ると、知久氏は阿島に陣屋を設け、阿島知久氏として再興を遂げた。そして知久平城には田峯城主の一族菅沼定利が入城し、伊那支配を行った。
1590年(天正18)定利は上野吉井に転封となり、知久平城は廃城になった。
城址は学校や住宅地、畑となるが、堀跡や土塁が残されている。また小学校東側の桜は鎌倉時代中期、知久氏が植えたものといい、700年以上たった今も花を咲かせるという。
堀跡 本丸・天守台跡とされる土盛り 城址西を流れる天竜川

参考文献 「現地案内板」
                     「信州の山城 信毎書籍出版センター」
                「信州の城と古戦場 令文社」
                「日本城郭全集 人物往来社」
訪城回数 1
2011年9月